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<石垣・野面積み>
浜松城の石垣は見るからに荒々しく、外観は粗雑で一見崩れやすいように思えるが、400年の風雪に耐え、いまなお当時の面影を残している。
この石垣は野面積みといい、自然石を上下に組み合わせて積む方法で、慶長(1596〜1615)以前はこの方法が多く用いられていた。石の大きい面を内側にして長く押し込み(牛蒡(ごぼう)積み)、その内側に小型の栗石を1〜1.5mほど詰め、さらに砂利を入れてあるので水はけもよく、水圧で崩れることがない。石垣表面の隙間には詰め石をし、外観は乱雑だが、堅固に造られている。 |
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浜松城は、特に天守台と天守門跡付近の石組が堅く、石も大きなものが使われている。また、突角部には長方形の石材を小口と側面が交互になるように配した算木積み法を用いている。石垣の斜面が直線的で、57度〜78度の傾斜をしている。
石垣に用いた石材は珪岩(けいがん)と呼ばれる物がほとんどで、そのほか石灰岩、結晶片岩などが見られる。珪岩は浜名湖北岸の山々で見られ、現浜松市庄内地区の大草山や根本山、対岸の湖西市知波田付近で切り出され、佐鳴湖東岸まで船によって運ばれ、そして、浜松城まで運ばれたと推定される。この石垣がいつの時代に築かれたかについては正確な資料がないのでわからないが、2代城主堀尾吉晴の頃(1590年頃)と考えられている。 |
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