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阿尾城跡は富山湾に面した標高20〜40mの独立丘陵上に立地し、その独特の景観とともに市民に親しまれている史跡である。
発掘調査では伝二の丸・伝三の丸から中世の土器・陶磁器類が多数出土した。また伝本丸には櫓があったと伝えられ、ここで海上交通を監視していたと思われる。
築城の時期は不明であるが、出土遺物からは15世紀後半頃に城としての利用が始まったと推定できる。天正・文禄年間(1573〜1596)頃には菊池右衛門入道・十六郎父子が居城した。菊池氏は織田信長配下の佐々成政に従ったが、成政と前田利家が対立すると前田方へと寝返り、1万石を安堵された。しかし慶長初め(1597頃)には廃城となり、菊池氏の子孫は加賀藩士となった。 |
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本丸跡にはそれらしきものは何も感じられないが、海の監視にはもってこいの場所であることは分かる。遠方より眺めると、突き出た先方の位置に阿尾城跡がある。 |
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