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中山道鵜沼宿町屋館は、江戸時代に「絹屋」という屋号で旅籠を、明治の初めから昭和30年代まで郵便局を営んでいた旧武藤家住宅です。平成18年(2006)、各務原市が建物の寄付を受けて公開している。
屋敷は、中庭を囲むように主屋、東側の附属屋、西側の離れの三棟からなる。主屋は明治24年(1891)の濃尾地震で倒壊し、その後、再築されたものです。附属屋は、大正から昭和初期に建築されたものと考えられる、養蚕小屋として利用されていた。離れは、建築部材から昭和初期に建築されたものとみられ、太田宿から移築されたものと伝えられている。
三棟とも市の指定文化財・景観重要建造物に指定されている。内部では鵜沼宿に関わる歴史資料を展示している。 |
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<箱寿司の容器> (上左画像)
寿司の始まりは、「握り寿司」ではなく魚と米と一緒に漬け込んで醗酵させた保存食だった。「熟れ寿司」(なれずし)といい、米は食べずに酸っぱくなった魚だけを食べた。
安土桃山時代になると、醗酵した米の部分も食べるようになり、「飯寿司」が誕生する。やがてそれは、箱に詰めた飯の上に魚の身を置いて押す「箱寿司」へと発展した。
町民文化が花開いた江戸時代、「箱寿司」はひとつの食のスタイルとして流行した。天明6年(1786)の喜多川歌麿作「絵本江戸爵」には、日本橋の往来で「箱寿司」を売る屋台が描かれている。この容器は、幕末に鵜沼宿の丸一屋(現坂井家住宅)で使用されていたものです。
<行灯> (上右画像)
行灯は字のとおり、かつては手に持って移動できる携行用灯火具として使われていたが、移動に便利な提灯が出現すると、次第に定置式の灯火具として普及していった。 |
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この建物は古い町並みの雰囲気を色濃く残している。特に、主屋は町屋の建築様式を随所に留めており、鵜沼宿時代の雰囲気を感じ取ることができる。 |