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友田家は、太田川の源流に近い東亀久保の草分けの家で、祖先は伊勢平氏で厳島神社の造営の後、出雲の刀鍛冶となった。
その昔、朝廷に仕えようとしたがかなわず、鎌倉に下る途次、この山深い飯田荘鍛冶島村亀久保平に土着し、その後、東亀久保に移り住み現当主は48代目だと言われている。
現在の母屋は、元禄期(18世紀初頭)に現在地に隣接する元屋敷(前畑)から移築したといわれ、前身母屋の部材(側柱・小屋梁の一部・側梁)のいくつかを確認することができ、300年余を経た重厚な建築部材は見応えのある赤松や栗などの雑木が用いられている。
建物は、梁間5間(約9.1m)、桁行8間半(15.5m)の風格ある寄棟造・茅葺で、だいどころが土間に1間突出し、ひろまとなかまが喰違う「片喰い違い三間取り型」(遠江地方の古農家に使われた型)を基本にしている。
昭和28年(1953)、半解体修理により建築当初の姿を復元し、以来、平成7年(1995)に屋根葺替修理、平成23年(2011)、24年(2012)に屋根葺替及び耐震補強工事が行われた。国指定重要文化財。(現地解説文より引用) |
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