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<長州砲(八十斤加農(カノン)砲>
文久3年(1863)5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃した(攘夷戦)。翌年8月、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国連合艦隊17隻が報復のため下関にやってきた。海峡の最も狭い所に築かれたこの壇之浦砲台は、前田砲台と共に重要な役割を果たしたが、連合艦隊に大敗し、すべての砲台が占領・破壊された。外国の進んだ軍備にめざめた長州藩は、開国・倒幕へと転換し、明治維新を実現する原動力となった。
長州藩の主力となった加農砲(カノン砲)は青銅製の大砲で、球形の弾丸を発射し、目標を打ち抜いて損害を与えるものだったが、連合艦隊の新しい大砲は距離・威力ともにはるかにすぐれたものだった。
この大砲は、幕末に数多くの大砲を鋳造していた長州藩の安尾家に伝わる20分の1の模型(下関市立長府博物館蔵)を参考に、原寸大に復元したレプリカ(FRP製)です。砲身に刻まれた文字は、パリのアンヴァリッド軍事博物館が所蔵している、これとほぼ同型の長州製青銅砲の砲身を模刻している。
*通常は1斤=16両=160匁(もんめ:3.75g)とされる。
<長州砲概要>
・門 数: 5門
・大きさ: 3門:最大長 6.68m 最大幅 2.6m 高さ 3.52m
2門:最大長 5.98m 最大幅 2.6m 高さ 2.92m
・砲 身: 全長 3.56m 口径 20.0p
・素 材: FRP(繊維強化プラスチック) |
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<天保製長州砲>
幕末、関門海峡での6次にわたる攘夷戦は、元治元年(1864)8月、長州藩兵と英・仏・蘭・米4カ国連合艦隊との交戦をもって終結したが、同時にこれは明治維新の具体的始動につながった。この歴史的事件で下関海岸砲台に装備された長州藩の、すべて戦利品として外国に運び去られ国内から姿を消していた。
昭和41年(1966)年春、渡欧中の作家古川薫氏がパリ・アンヴィリッド博物館に保管されている攘夷戦長州砲を発見、以来返還運動が進められたが実現困難のところ、郷土出身の外務大臣安倍晋太郎氏の努力とフランス政府の好意によって1984年6月、貸与の形式で里帰りを見るに到った。この機会に下関東ロータリークラブでは、フランス政府の了解を得、創立20周年記念事業として、これを原寸大かつ精密に模造し下関市に寄贈した。
同長州砲は天保15年(1844)萩藩の鉄砲家郡司喜平治信安の手になるもので、幕末日本人の対外危機感を象徴する歴史的逸品である。
鎖国に眠っていた日本史がようやく世界史に組み入れられる瞬間を目撃したこの物言わぬ証人を、海峡のほとりへ永久に安置しようとするのは、歴史に富むこの地の発展と世界平和を祈念する趣旨にほかならない。 |
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