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<旧武居家住宅>
旧武居家住宅は、「天保の御制」と呼ばれる居住の制における百石未満の藩士が住む小屋敷の規定と家屋の規模が一致している。幕末にこの屋敷に居住していたと考えられる田島伝左衛門は、90石の禄高であり、これも居住の制と一致する。
建築年代は資料がなく明らかではないが、構造手法からみて江戸時代末期(19世紀前半頃)と思われる。
平成9年(1997)に、移築・整備工事が完了し、公開されることなった。座敷には長押を付けないなど簡素な造りだが、当時の小規模な武家屋敷の典型例として貴重です。
旧河原家住宅、旧但馬家住宅は現在も当時の姿をとどめる茅葺屋根になっているいる。旧武居家住宅も当時は茅葺屋根であった。 |
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<使用人・出入農民 通路跡>
使用人や畑を耕す農民が出入りする際、日常生活を阻害しないよう、庭を通らず、マキの生垣の外側迂回して裏庭の畑に行けるようにした通路跡です。
このような通路跡は、市内の大商家の庭においても、主人の庭を迂回し、裏の土蔵等へ向かうための通路として確認することができる。 |
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<旧佐倉藩武家屋敷 居間前庭>
多少趣のある生活の庭です。客人の動線からは見えないよう、マキの生垣で視界を遮るようにしている。藩士一家が「、家族で楽しむ庭として作庭したと推定される。池は後世のものです。 |
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<旧佐倉藩武家屋敷 座敷前庭>
客人を家に招くことは藩士の大事な仕事の一つであった。質素な生活の中でも、客をもてなすために、座敷から眺める庭は目で見て楽しむ植物のみが植えられ、格式が高くなるように努めていた。
今に残る建物は、明治時代に、江戸時代とほぼ同じ位置に武家屋敷の造りで作られたものである。江戸時代往事とほとんど変わらない座敷前庭の植物景観を今でも楽しめる。 |
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<旧佐倉藩武家屋敷 裏庭>
裏庭は、藩士にとって普段の生活のために重要な場所だった。植栽は、そのほとんどが梅、柿、栗、ゆず、枇杷など実がなり食することが出来るもので、苦しい生活の足しになった。また畑があり、その脇には収穫もしていた茶の生垣がある。畑は近隣の農民に耕作させていたようだ。
これらの植栽や畑は全て、門から入り座敷に上がるという客人の動線からは見えないよう、巧みに配置されていた。
江戸時だとほとんど変わらない植栽景観を今でも楽しめる。剣術の稽古はここでしていたと推定される。 |
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<古今佐倉真佐子庭園>
古今佐倉真佐子とは、江戸時代の1701〜1723年頃に佐倉藩士であった渡辺善右衛門によって書かれた書物です。当時の佐倉の様子や武士の暮らしを垣間見ることが出来る。
古今佐倉真佐子に登場する植物の一部を、ここに集めて庭園としている。
ヤマモモ、ハナモモ、ボタン、キリシマツツジ、ムクゲ、ツゲ、サツキ、ミカン、(クネンボ)、キク。 |
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<佐倉藩士使用井戸(現存)>
佐倉市内における旧武家屋敷の井戸のうち、現存し後悔されている唯一の井戸です。コンクリ壁の下部に江戸時代に素掘りされた深井戸が確認できる。 |