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<商家・金子家>
『金子家日記』(天保13〜嘉永7)によると、金子家は、当時、藩の御用を務めたり特定の人や寺を相手に旅籠のようなものを営んでいた。安政元年に質屋・古着屋を開いたといわれ、明治4年には呉服・太物(ふともの)卸商「金子商店」を創業して、昭和50年(1875)まで、ここで商いが続けられた。
旧金子家住宅が建つ秋田市大町地区は、江戸時代に商業中心地として計画された地域で、絹・木綿・麻糸などの家督商品の専売が許され、中でも大町三町は、大町物(おおまちもの)とよばれた太物・呉服などを扱っていた。
<秋田市指定有形文化財 旧金子家住宅>
旧金子家住宅は、平成8年(1996)、金子榮一氏より秋田市に寄贈され、平成9年(1997)には、江戸時代後期の商家の伝統的な建築様式を残した貴重な建造物として、秋田市の有形文化財として指定された。
創業当時の建物のうち、主屋は明治19年(1886)の俵屋火事で焼失し、よく20年(1887)頃に再建されたが、今残る土蔵は幕末に建てられたもので、大火を逃れている。
戦前、秋田市内では、火事に備えて主屋の屋根に玉水甕(かめ)を置く商家もあり、昭和10年(1935)に来秋したドイツの建築家ブルーノ・タウトは、金子家の天水甕に興味を示し、著書の中で紹介している。
旧金子家住宅は、秋田の伝統文化と商家の歴史を語り継いでいる。 |
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<旧金子家住宅 主屋>
旧金子家住宅は、江戸時代後期の町家の伝統的な建築様式を残した貴重な建造物で、主屋一棟、土蔵一棟からなる。主屋は、玄関から蔵前土間に続く幅1.5mの「通り土間」が江戸時代の商家の特徴を現し、土間に面して各部屋が配置されている。通り土間の上の「使用人部屋」や、台所の上の」女中部屋」など、いかにも商家らしい部屋が設けられている。また、屋根の上には火事に備えた天水甕を置いている。
<旧金子家 土蔵>
土蔵は江戸時代後期に建てられ、鞘屋根で主家とつながっている(内蔵形式)。壁は土壁で黒漆喰で化粧し、中央には家紋が彫られている。蔵前正面の中2階には、火事の際に蔵の窓を目張りするため、壁土と水を入れた桶を置いた。
金子家には、ほかにも米蔵、ガッコ蔵、道具蔵などがあったが、現存するのは、明治19年(1886)の俵屋火事にも耐え抜き、金子家の「守り神」として、商売繁盛の歴史を伝えている。 |
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