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元亀3年(1572)12月22日、徳川家康は武田信玄の上洛を阻止せんと、武田軍およそ2万5千の兵力に対し、徳川軍はおよそ1万1千の兵力をもって戦いを挑み、戦闘約2時間といわれるも、結果は大敗に終わった。
これが三方原合戦である。戦いが展開されたのは、この三方原台地であるが、その場所は定かではない。我々は、この三方原の一角にこの碑を建て、その歴史の場を永く後生に伝えようとするものである。
昭和59年7月吉日 三方原歴史文化保存会有志 |
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三方原の戦いから現在までに420年の歳月が流れている。三方原の戦いでは武田軍3万に対し、徳川軍は援軍を含めても三分の一の兵力で、しかも老練な戦術家の信玄に立ち向かうことは極めて不利な戦いであった。
徳川軍は武田軍が祝田坂を下るところを一気に攻めようと両軍とも祝田坂に勝利のきっかけを掴もうとしたことは確かだ。
祝田坂は著名な三方原の戦いの書物に写真入りで紹介されている。しかしながら、現在バスの通行している新道の祝田坂は誤りである。三方原の戦いの時の祝田坂は、旧道であることを知って貰いたい。三方原歴史文化保存会 |
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