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<史蹟 大官大寺阯>
大官大寺は、『日本書紀』『元興寺(がんごうじ)伽藍縁起』などの文献資料に、「だいかんだいじ」あるいは「おおつかさのおおでら」と記されているが、その実態は明らかではない。大官大寺は百済大寺(吉備池廃寺)から高市大寺、大官大寺、おして大安寺と移転しながら変遷することが記録にあるが、高市大寺については定かではない。
昭和48年(1973)からの発掘調査により、中門・金堂・講堂が南から北へ並び、中門と金堂をつなぐ回廊の中の東部に塔を配する伽藍配置であることが明らかになった。
回廊で囲まれる範囲だけでも東西144m、南北195mの大きさになり後の東大寺の創建当初の回廊規模と同じであり、塔は基壇の規模から、九重であったことが推定されている。大官大寺は文字通り飛鳥最大の寺院である。 |
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