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日本で初めて洋式競馬が開催されたのは、居留外国人により造成中の旧横浜新田(現中区山下町付近)において、文久2年(1862)5月といわれている。
元治元年(1864)の横浜居留地覚書第1条に基づき、吉田新田の一部に設置する予定だったが、慶応2年(1866)日本最初の近代競馬場が外国人遊歩道に沿う根岸の丘の上に設置された。形は楕円形で周囲は827間(1.5q)、幅は10間より15間、14,920坪(49.236u)。グランドスタンドは、35間四方、設計はW.ドーソン。翌3年第1回の競馬会が開催された。
明治8年(1875)西郷従道が日本人最初の会員となり、秋のレースで愛馬ミカンに騎乗し優勝した。覚書により経営は外国人によって行われたが、明治13年(1880)経営困難となり覚書は廃止され、管理権は日本政府に回収された。日本人を含むクラブと契約が結ばれ、春・夏2回レースが開催された。 |
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昭和5年(1930)J.H.モーガンの設計によるスタンドが完成したが、昭和17年(1942)秋のレースを最後に、昭和18年(1943)より日本海軍、昭和22年(1947)より米軍が使用していた。
昭和44年(1969)、スタンドを除く14.2haが返還され、根岸森林公園となり、スタンドは、昭和57年(1982)返還され横浜市の管理となった。 |
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根岸競馬記念公苑(馬の博物館)では、馬についての関心と理解を深めていただくために、苑内に馬を飼育している。
馬は世界中にたくさんの品種が分布し、今も人々の暮らしの中で生きている。その品種は200種を超え、日本の在来馬も8品種が登録されている。そのうちこの公苑(ポニーセンター)には、サラブレット、アングロアラブ(英国原産)、セルフランセ(フランス原産)、ニュージーランド産、中半血馬、ハフリンガー(オーストリア原産)、ポニー、アメリカンミニチュアホースの8頭がいる。
なお、ポニーというのは種類をあらわすのではなく、成馬になっても体高(背の高さ)が147p以下の馬を総称して呼ぶ名称です。
馬は本来おとなしく、人に危害を加えるようなことはないが、臆病な動物ですから、突然驚かされると危険を感じて蹴ることがある。馬が通路を通っている時やつながれている時など、後ろに立ったりそばを走ったりしないでください。馬に近づく場合は必ず声をかけながら、やさしく接してください。(説明板) |
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<馬繋石>
馬繋石は、一時馬をつないでおくために用いられた石で、むかし馬子たちが休憩した街道の茶店先・一里塚や、農家の庭先で見られたものです。
この石は、かつての主要街道の一つである中山道望月の宿場付近(長野県佐久市望月)にあったものを複製したものです。
なお望月は、かつて有名な牧(朝廷の馬を生産するための牧野)のあった馬産地であった。
<馬立場>
馬を山野に群れて放牧した場合、夏は風の吹く涼しいところに、また秋が深まり気温が低くなると、陽当たりのよい風のこない場所に集まって休息する。このような休息場所を馬立場と呼ぶ。樹木があって丘状になっているこのあたりの地勢は、夏の馬立場に適した所です。
群れはボス馬の先導に従い気象条件によって場所を移動するが、群れによって踏み固められた馬立場は裸地になってしまう。 |
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<シンザン>上画像 神賛
五冠馬。19戦15勝(2着4回)
<トキノミノル>下画像
10戦10勝
<根岸競馬記念公苑案内>
根岸競馬場は慶応2年(1866)に建設され、昭和17年(1942)まで使用された日本で初めての本格的洋式競馬場です。この公苑は、これを永く記念するために設けられたものです。
・敷地面積 24,800u
・開苑時間 午前9時30分〜午後5時
・馬の博物館 開館時間 午前10時〜午後4時
・休苑日 毎週月曜日・4月1日(創立記念日)・年末年始 |