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昭和35年5月23日午前4時10分(日本時間)、マグニチュ−ド8.5という最大級の巨大地震が南米チリ中部沿岸に発生した。この地震によって引き起こされた津波は、途中ハワイ諸島その他の太平洋諸島を襲ったうえ、約一昼夜経て、17000q余も隔てた日本の太平洋沿岸一帯に大津波が襲来したのである。チリ地震津波である。
東北地方の太平洋沿岸に来襲した津波の第1波は、女川町に到着し、ついで岩手県の三陸海岸一帯に到着した。その高さは外洋では124cm、外湾又は湾口では2〜3m前後であった。湾奥では、一般に高くなり4m以上になった。JR女川駅では、階段の青い線まで津波が押し寄せた。 |
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この津波による死者・行方不明者は全国で139人、被害額は260億円に達した。女川町は人的被害こそ免れたものの、被害額では全国の1割近い約25億円に上り、経済的打撃は極めて大きなものだった。(昭和35年度女川町一般会計当初予算約1億1千万円)
「震災と鉄道 全記録」(AERA Mook 朝日新聞出版)2011年8月発行。
女川駅構内のチリ地震が押し寄せた青い線の画像が掲載される。東日本大震災でこの女川駅は全壊してしまった。 |
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