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特攻基地・知覧 知覧特攻平和会館   鹿児島県南九州市
特攻像「とこしえに」
特攻基地・知覧
 太平洋戦争末期に沖縄戦へ向けて若者達が片道切符で飛び立って行った悲惨な特攻基地。計画した者は後方に、前線で命を落とすのはいつの時代も若者達である。20歳前後の若い隊員達は、国をおもう純粋な気持ちであったろうが−−−。
 特攻平和会館は、太平洋戦争末期の沖縄戦で、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示して当時の事情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与するものです。
 上画像の飛行機は、初等練習機(Tー3)として航空自衛隊防府北基地(山口県)で活躍していたが、平成17年(2005)に用途廃止され、同年5月、知覧町が借り受け、ここに展示したもので、当時の特攻用飛行機ではない。
特攻像「とこしえに」の由来
 特攻機は、遂に帰って来ませんでした。国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いながら、勇士は征ったにちがいありません。
 特攻像「とこしえに」は、全国の心ある人々によって建てられました。
 み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつつ
 りりしい姿を永久に伝えたい心をこめて
 あゝ
 開聞の南に消えた勇士よ
一式戦闘機「隼」 一式戦闘機「隼」
一式戦闘機「隼」 一式戦闘機「隼」
一式戦闘機「隼」
 太平洋戦争において、陸軍の主力戦闘機として活躍した一式戦闘機「隼」V型甲をモデルに、当時の資料や少飛会の意見を取り入れて忠実に復元製作された。「隼」は、当時知覧の特攻基地からは九七式戦闘機に次いで多い120機が飛び立っている。
 ”特攻の母”として知られる鳥濱トメさんの視点から、若き特攻隊員の無残にも美しい青春を描いた、映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」(2007年5月12日公開作品、製作総指揮・石原慎太郎)で実際の撮影に使用された「隼」
三角兵舎 三角兵舎
三角兵舎 三角兵舎
三角兵舎
 三角兵舎は特攻隊員の宿舎である。敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、地上には三角の屋根しか見えない兵舎であった。各地から集まった隊員は、ニ・三日後には雲のかなた沖縄の空に散華した。
三角兵舎 三角兵舎
出撃 出撃
 出撃の前夜には、この三角兵舎で壮行会が催され、酒を酌みかわしながら隊歌をうたい、薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙をしたためて、死地に赴いたのである。ここに、三角兵舎を復元し、当時を偲ぶよすがとする。
門柱 門柱
 上画像左の門柱は、昭和16年(1941)12月、この地に開校された、大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所(のちに教育隊となった)の正門です。
 終戦後昭和26年(1951)、旧知覧中学校の正門として使用されていたが、昭和56年(1981)統合により閉校になったのでここに移設復元した。
 上画像右は、第四○教育飛行隊の門柱です。昭和19年(1944)知覧に第四○教育飛行隊があり、7月から年末まで学徒出身の特別操縦見習士官第二期生136名の操縦教育が実施された。その後部隊も見習士官も移動した。
 それから半年の後、再び知覧に降り立った同隊の第二期生及び教官を含む47名がいるが、全員振武隊となり、思い出の飛行場から一路沖縄に出撃した。
 なお第四○教育飛行隊は菊池、各務原と移り、陸航士第五八期生86名、特別操縦見習士官第二期生50名及び第三期生61名の教育を続けて終結した。
生き残り隊員の歌碑 知覧基地 特攻隊の歌碑
生き残り隊員の歌碑
 手を振りて 知覧翔び征く 特攻機 君の笑顔に 昭和責めらる
知覧基地 特攻隊の歌
   一 ああ薩南の此の地より  敵撃滅の命を受け  まなじり決し若人が  翔び立つ姿尊しや  その名特別攻撃隊  
ああ明日はなき此の命  胸に秘めたるその覚悟  祖国の平和念じつつ  南の空に翔び立ちし  その名特別攻撃隊
ああ今此処に銅像の  勇士の姿仰ぐとき  国を護りしつわものの  勲は永久に薫るらん  その名特別攻撃隊
特攻平和観音堂 知覧特攻平和会館
特攻平和観音堂
 この地は、昭和17年3月大刀洗陸軍飛行学校知覧分校が設けられて、連日隊員の訓練を重ねたところであったが、国際情勢の次第に緊迫し険悪となるにしたがい、遂に昭和20年本土最南端航空基地として陸軍最後の特攻基地となり、凡そ一千の若き勇士が莞爾として雲流るる果て遥か逝きて、帰らざる壮途につかれた思いで深い土地である。
 これら若人の至情至純の精神を顕彰し、悠久空に散華せる御霊のとこしえに安らかならんことを祈念し、以て祖国の久遠の平和復興に資せんため、関係旧将士の浄財を集めてつくられた平和観音像を、今この念願を同じくする有志等の願望により このゆかりも深い知覧町旧飛行場跡に奉安する。
知覧特攻平和会館
 知覧が出撃基地であったことから、隊員の慰霊と当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、恒久平和を祈念することが基地住民の責務であろうと信じ、知覧特攻平和会館を建設した。
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 知覧特攻平和会館への道風景。凛とした張り詰めた雰囲気を感じる。
知覧町の通り
石灯籠
 知覧町の中心部にある薩南工高から平和公園まで石灯籠が連なっている。知覧を訪れると必ず目にし、不思議に感じるのがこの石灯籠である。実はこの石灯籠は全国から寄せられた浄財で1,036建立する計画である。1,036という数字は沖縄特攻で散華された、知覧基地を中心とする主に陸軍の特攻隊員の方々の御霊の数ということである。
<以前の投稿欄のコメント>
 はじめまして、知覧特攻隊のHP拝見させていただきました。 私の祖父が神風特攻隊ということもあり、次世代の若者達へ伝達して行く手法としてHP・掲示板・ブログを利用しております。 次回の紹介に知覧特攻の真実をしようと思っておりますので是非とも、管理人様へのリンクと一部文章のご紹介をさせていただきたいのですが、何卒、ご許可願えますでしょうか?宜しくお願い申し上げます 私のHPです。〜60年前に祖父が託したこと〜 http://www.rak2.jp/hp/user/kamikaze0/ 掲示板です。 〜戦後世代の掲示板 しゃべり場〜 http://www2.ezbbs.net/09/kamikaze0/ ブログです。 〜戦後教育 負の遺産 小・中・高校生の基礎知識〜 http://blog.livedoor.jp/kamikaze1941/ nana 
 私の叔父も戦争末期にこの地から飛び立ち、散華しました。
その事実を知ったのは私が生まれて、30年以上経ってからの事です。それまでは、どこから戦地へ赴いたのか全くつかめていなかったのです。もちろん、私の母(妹にあたります)も。
 ある日に生き残られた元兵士と語る方が全国行脚の途中で立ち寄って下さり、母にいろんな事を語ってくれたそうです。その方は、散華された英霊たちの生家を一軒、一軒訪ねてはお話をして下さり、また後生に受け継ぐために遺品の提供をお願いされたそうです。この方達の努力があってこのような立派な資料館ができたことは、本当に遺族にとって有り難いことと感謝しております。
 年老いた母を幾度となく連れてお参り、5月の慰霊祭に参加させていただきました。本当に知覧町、関係者の皆様にはただ、ただ感謝の気持ちでいっぱいです。 阿部均
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