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屋根から煙突を出して、ピーピー音をたてながら「らお車」が近づいてくる。今では見られなくなった「らお屋」である。
「らお屋」は、煙草を吸うキセルを掃除したり、その一部である管を取り替えするのを仕事としていた露天商である。
南米が原産地である煙草は、ポルトガル人を通じて16世紀後半、日本に伝わって、武士や町人に煙草を吸う習慣が定着していった。
やがて、煙草を吸う道具として、竹製の管の両端に、金属製の「吸口」と、刻み煙草を詰める椀形をした「火皿」と、その付け根から管に接合する部分までの「雁首」を、付けた「煙管(キセル)」が生まれた。このキセルに使われた管を、「羅宇(らお)」と呼んだ。羅宇の語源は、羅宇国(現在のラオス)の竹(羅斑竹)を使用していた説と、ポルトガル語のRabo(柄)、スペイン語のRabo(軸)から来た説がある。
「らお屋」は、戦後も都市部で見られたが、紙巻煙草の普及と共に急速に姿を消していった。
画像の「らお車」は平成11年(1999)に中島留四郎氏が実演を行った際に使用したものである。車後部には、本来、2段目左画像の「らお機関(がま)」が搭載されていて、これから発生した蒸気で管を掃除し、その際に鳴るピーという笛に似た音が特徴的であった。(画像と解説文は
I.H さんの提供) |
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