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<湊会所と長崎税関>
江戸時代、鎖国政策のなかで、長崎は海外に開かれた唯一の貿易港であった。幕末の安政5年(1858)、5カ国との修好通商条約が締結され、翌安政6年(1859)に長崎は横浜、函館とともに新たな貿易港として出発した。そして、この年湊会所が設置され、貿易・外交に関する事務がこの地で開始された。
<湊会所跡>
安政6年(1859)の安政の開国により、ロシア、フランス、イギリス、オランダ、アメリカなどの国と自由貿易ができるようになったため、この地に、貿易や外交などに関する事務を行う「湊会所」が長崎会所の一部として設置された。
長崎会所は、1698年から明治初期まで上町に設置されていた。オランダや中国の貿易に関する業務や幕府の運上銀や市中への配分銀などを管轄する機関であった。
湊会所は、文久3年(1868)に「運上所」と改められ、後に現在の市民病院の場所に移り、更に明治6年(1873)に「長崎税関」と改称された。湊会所は、現在出島町にある長崎税関の前身です。 |
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