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被爆クスノキ 山王神社   長崎県長崎市
被爆クスノキ
被爆クスノキ 被爆クスノキ
山王神社の大クス
 山王神社は周辺を様々な樹木で囲まれており、その中で、この2本の大クスは神社境内入口にどっしりと根をおろしている。また、四方に伸びた2本の木の枝葉は上部にいくにつれ複雑に絡み合いながら一つの深い緑陰をつくっている。
 1945年(昭和20)8月9日、午前11時2分、原子爆弾の炸裂による強烈な熱線とすさまじい爆風のため、爆心地から南東約800mのこの神社の社殿は倒壊、隣接する社務所は全焼、そして、二の鳥居は片方の柱を失ってしまった。社殿を囲んでいた樹木は折損し、この2本の大クスも爆風により幹には大きな亀裂を生じ、枝葉が吹き飛ばされ丸裸となった。また、熱線により木肌を焼かれ、一時は枯死寸前を思わせたが、その後樹勢を盛りかえし、現在は長崎市の天然記念物に指定されている。
 長崎市はこの地で亡くなられた方々のご冥福をお祈りして二度とこのような参加が繰り返されないことを願ってこの銘板を設置する。 
市指定天然記念物 山王神社の大クス
 この2本のクスノキは、胸高幹囲がそれぞれ8mと6mで、市内にあるクスノキの巨樹の一つである。ともに昭和20年(1945)の原爆で主幹の上部が折れたため、樹高は10m内外であるが、四方に張った枝は交錯して一体となり、東西は40m、南北25mの大樹冠を形成している。
 原爆の影響で一時落葉し、枯木同然であったが、次第に樹勢を盛り返し今日に至っている。
被爆クスノキ 爆風により舞い上がった石
石の由来
 この石は、平成18年(2006)山王神社・被爆楠の木の2度目の治療の時に、右側の木の空洞の中から取り出されたものです。治療に当たった樹木医、海老沼氏によると、昭和20年(1945)8月9日に投下された原子爆弾の爆風により、入ったものと考えられる。(爆風:秒速220m、熱線2,000度(推定))その証として無数の石が、右側の木の中から発見されている。
 この木の3mの上にのぞき窓があり、この部分に空洞があって、爆風により石が舞い上がり、穴の中に止まっている。常識では考えられないような大きな力が加わり、原子爆弾の威力を物語っている。
 神社に向かって左側の楠の木は爆心地に近く、主幹は途中で折れている。その上、木の幹(内部)には無数の破片(瓦、金属、小石等)が突き刺さっていた為、治療の時、その破片を取り除くのには困難を極めた。(山王神社氏子総代会)
山王神社 坂本町民原子爆弾殉難之碑
坂本町民原子爆弾殉難之碑
 町内会長をしていたので翌日町内のようすをみて回った。さんさんと照りつける真夏の太陽の下にあちこちの畑一杯にあるいは死にあるいは生死の境をさ迷いながらうめき苦しむ多くの人々、達者な者は重傷者の看護に一生懸命立ち働いている。意識ある者はすべて泣いて救いを求めた。780余人の総人口のうち200人ぐらいは負傷はしていてもまだ生きていたし、達者な者も150人以上はいたのだが、それから10日ぐらい経ったころにはばたばたと死んで行き完全に生き残った者はわずか20人ぐらいに過ぎなかった。
 町内175世帯中家族そろって完全に生き残ったのは山王神社の船本氏の一家族だけである。その日朝8時ごろの空襲で町内の防空壕奥に深く入り、そのまま壕内で遊んでいて赤ん坊に至るまで完全に助かったというのである。

 右の文(上の文)は被爆当時、町内会長だった久保忠八さん(昭和47年没)の手記「原爆記」(長崎原爆戦災誌に収録)の中から抜粋したものです。久保さんは昭和20年8月9日、浦上に原爆が投下された当日、仕事で県外に出張していて難をのがれた数少ない体験者です。2日後の11日、帰宅して目にしたのは一面の焼け野原。ご自身も妻子5人を亡くしました。その惨状を知る生き証人でもありました。昭和27年、被爆倒壊した山王神社の鳥居の足柱をゆずり受け、町民手づくりで碑を建立。
 以後、毎年、8月9日に慰霊祭を催して、犠牲となられた多くの地域住民に哀悼の誠を捧げ、世界の恒久平和を祈念しています。
 なお、碑は平成18年9月の台風で折れた楠の大枝が覆いかぶさり倒れましたが、住民の募金で復元。この地、山王からの祈りを今日に継承しています。
     平成19年8月 坂本町山王自治会
山王神社案内
 当神社は島原の乱後、時の徳川幕府老中松平伊豆守信綱が此の地を通過せし際、近江の国琵琶湖岸の坂本に風景・地名共に酷似しているとて、かの地の山王日枝の山王権現を招祀してはとの進言により、長崎奉行・代官は寺町の真言宗延命寺の龍宣法印師に依頼し神社建立に着手した。
 当時は神仏混合の習慣により、延命寺の末寺として「白厳山観音院円福寺」と称して運営された。以後、幾度かの盛衰がありたるも地域の氏子の方々に守られて明治維新を迎え、神仏分離令により、元来の神社に戻り「山王日吉神社」と改称し、浦上地方の郷社となる。
 明治元年、山里地区の皇太神宮が祀られるも台風等の被害にて損壊し、再建や以後の運営も困難になり、廃社を検討されるを知り氏子は山王社との合祀を願出て許可となり、明治17年(1884)1月遷宮し以後「県社 浦上皇太神宮」と称したるも地域では「山王さん」として親しまれ、また「浦上くんち」としておおいの賑わってきた。
 不幸にも昭和20年(1945)の原爆の惨禍に直面し、壊滅状態となりたるも数年を得ずして苦境の中から復興の声が上がり、昭和24年(1949)より祭典を復活し、以後社殿境内等も次第に復活された。昭和63年(1988)神社創建350年の記念すべき年に、幣殿も再建してほぼ旧来の姿に近く再建し得た。
 原爆時の遺物としては、現在は世界的にも有名になった参道の「石製片足鳥居」と、境内入口に聳える「楠の巨木」等が残り原爆の悲惨さと平和の有り難さを無言の内に語り掛けてくれる。
 また、楠木は戦後の数年で発芽次第に繁茂し現在の雄姿となり地域の人々に戦後の復興の意欲と活力を与えてくれた。
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