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<鉄道寮新橋工場・機械館>
鉄道寮新橋工場は、日本で初めて鉄道が走った新橋ー横浜間の起点、新橋停車場に機関車修復所として建てられた。その後規模が拡張され、大正4年(1915)に大井町へ移転し、用品倉庫として昭和42年(1967)まで使用された。
わが国はイギリス人指導者のもとに鉄道を導入し、機関車や線路は全てイギリス製であった。この建物も輸入材料を使用しており、鋳鉄柱にはリバプールのハミルトン・ウィンザー鉄工場の銘が刻まれている。
鉄造プレハブ建築であるこの建物は、わが国の近代鋳造技術の手本となった貴重な遺構である。登録有形文化財。
内部には日本の近代化の過程で使われた多数の機械も展示されている。
旧所在地:東京都品川区広町
建設年 |
明治5年(1872) |
解体年 |
昭和42年(1967) |
移築年 |
昭和43年(1968) |
建築面積 |
287.2坪 |
構造 |
鉄造平屋建銅板葺 |
寄贈者 |
日本国有鉄道 |
内部には日本の近代化の過程で使われた多数の機械も展示されている。以下、機械遺産ともいうべき貴重な資料である。
日本は鎖国により欧米の科学技術から閉ざされていたが、開国とともにいち早く海外の科学技術を導入し近代化を図った。
その顕著なものの一つに機械が挙げられる。原動機械、工作機械、繊維機械、印刷機械などが輸入されるとともに、これらの機械の国産化が始められた。
しかし、機械の発達はめざましく次々と新しいものに取り替えられ、古いものは廃品となり、往時の機械を知る手がかりはほとんどなありません。そこで博物館明治村では使用されなくなった明治時代の機械を収集、保存するとともに展示を行い、後世に明治時代の人々の工夫と努力のあとを伝えていきたい。 |
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<紡毛ミュール精紡機>
ミュール精紡機(せいぼうき)は1780年にイギリス人クロンプトンによって発明され、1830年にイギリス人ロバーツが自動化した精紡機である。この機械は、紡錘を載せた台車が手前に動いて粗糸を引き伸ばしながら撚りをかけ、台車が戻るときにボビンに巻き取る。現在では綿糸を紡ぐミュール精紡機は廃れたが、紡毛用のミュール精紡機は現在なお使われている。
本機は、紡毛用ミュール精紡機として日本に輸入された初期のものである。
製造者:ハルトマン株式会社 製造年:明治42年(1909) |
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<リング精紡機>
リング精紡機は1828年にアメリカのソープによって発明された機械で、練紡機より供給された粗糸をドラフトして所要の太さにしたのち、撚りをかけて完成した糸をボビンに巻き取る。リング精紡機はミュール精紡機より操作が容易で生産効率がよかったが、初期のリング精紡機は細糸の紡績には適さなかった。しかし、その後の改良によって1880年頃からは紡績工程においてはリング精紡機が主流となった。
本機は日本の初期綿糸紡績所の一つである三重紡績会社(現・東洋紡)で使用されていたもので、日本で使われたリング精紡機としては現存する最古のものである。重要文化財。
製造者:プラット社 製造年:明治26年(1893) |
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<始紡機(粗紡機)>
始紡機は粗紡工程の最初に用いる機械で、練篠機で作られたスライバを引き伸ばし、フライヤの回転によって軽く撚りを与え粗糸(スラッビング)を作り、木管に巻き取るもの。次いで間紡機・練紡機(細糸の場合には精錬紡機)を通してロービングと呼ばれる粗糸を作り、次工程の精紡機に供給する。
製造者:プラット社 製造年:明治29年(1896) |
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<玉締機>
糸を一玉10ポンド(約4.5s)ずつにまとめて紐(ひも)をかける時、この玉締機で圧縮し、一定の大きさにした。10ポンドの玉が40個で1梱(こり)とよばれ、糸の取引単位となっている。
製造者:大阪 木本鉄工所 製造年:明治37年(1904) |
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<ガラ紡績機(手動式)>
ガラ紡績機は、明治6年(1873)に臥雲辰致(がうんときむね・長野県出身)が発明した日本独特の紡績法である。洋式紡績では欠かせない練篠や粗紡の前工程を省き、綿筒に詰めた「よりこ」と呼ばれる綿の塊から直接糸を紡ぐことができるユニークな精紡機で、糸の太さを調節する自動制御機構が付いている。
この機械は初期の手動式で、機構的には臥雲辰致の発明を元に、綿筒を増やした改良型で、愛知県の新城地方で使われていたもの。ガラ紡績機の名は綿筒が回転するときガラガラと音をたてることから付けられた。
製造者:不明 製造年:明治初期 |
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<ガラ紡績機(水車式)>
水車式のガラ紡績機は、明治10年代以降、愛知県三河地方山間部を中心に広く普及し、矢作川下流では川の水流で水車を回す船紡績が、矢作川上流では谷川の急な水流を使って水車を回す紡績が行われるようになった。
このガラ紡績機は、臥雲辰致から直接技術指導を受けた岡崎の鈴木次三郎によって製作されたもので、三河地方で使用された水車駆動のガラ紡績機としては現存最古のものである。
製造者:鈴木次三郎 製造年:不明 |
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<練篠機>
練篠機(れんじょうき)は統綿(そめん)工程でできたスライバ6本または8本を併合して引き伸ばし、繊維の縮みをなくして繊維の平行度を高め、スライバの太さのむらをなくす機械である。普通は練篠工程は荒・中・仕上げと3回行った。
製造者:プラット社 製造年:明治40年(1907)不明 |
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<統綿機>
統綿機(そめんき)は、混打綿工程でできたシート状の綿(ラップ)を針布で梳(す)いて、もつれた繊維を一本一本にまで平行に解き広げ、短繊維や夾(きょう)雑物を除去したのち、薄膜状のウェブとし、これを集めて太い紐状のスライバにする機械である。
この統綿機を製作したイギリスのプラット社は1822年にヘンリー・プラット社が設立した19世紀最大の繊維機械メーカーである。当時イギリスの植民地をはじめ、日本へも代理店の三井物産を通じて非常に多数の繊維機械が輸入され、日本の繊維産業の近代化に貢献した。
製造者:プラット社 製造年:明治29年(1896) |
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<蒸気槌>
蒸気槌(じょうきつち・ハンマー)は、ボイラによって発生させた蒸気の圧力でシリンダ内のピストンを上下させ、ピストンの端部に取り付けた槌頭で工作物を鍛造する機械。この機械は大形工作物の鍛造が可能な門形のフレーム構造をしており、機関車や客車、貨車の車軸など強度が要求される部品を加工していた。明治初期の蒸気ハンマのなかでは残された数少ないものの一つである。
製造者:スウエツ・ガーバイド・バルカン鉄工所 製造年:明治14年(1881) |
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<往復空気圧縮機>
空気圧縮機は機械等の動力源として使用される圧縮空気をつくる機械である。この機械は丹那トンネルの工事において掘削機の動力源として用いられ、後に旧国鉄の浜松工場動力職場で使用された。
圧縮機を動かすための電動機は、奥村電気商会製のものが取り付けられているが、これは後に取り付けられたもの。
製造者:インガソルランド(アメリカ) 製造年:明治33年(1900) |
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<ゐのくち式渦巻きポンプ>
ゐ(い)のくち式渦巻きポンプは東京帝国大学教授の井口在屋(いのくちありや)が発明し、教え子の畠山一清が実用化の研究を進め、国友機械製作所が製造したものである。井口のポンプは当時世界でも注目を浴びる画期的な発明であった。それを実用化したこの「ゐのくち式渦巻きポンプ」は揚水用ポンプとして、千葉県桁沼揚水機場で昭和40年代(1965年前後)まで用いられてきた。井口の理論を応用した渦巻きポンプは現在も製作されている。
製造者:国友機械製作所 製造年:明治45年(1912)
<機械遺産>
機械遺産 第9号 2007年8月認定
ゐのくち式渦巻きポンプ
平成19年(2007)に創立110周年を迎えた日本機械学会より。日本国内の機械技術面で歴史的意義のある機械遺産とし認定された。 |
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<霧信号用蒸気機関>
霧が深い時、航海が安全のために鳴らす霧笛のための5馬力の蒸気機関で、アメリカから明治29年(1896)に輸入したものを手本に作られたといわれる。明治44年(1911)12月15日北海道小樽市の日和山燈台に設置され、大正12年(1923)7月2日に8馬力の石油発動機にかわるまで使用された。記録には「毎1分20秒を隔て、4秒時吹鳴す」とある。
製造者:逓信省横浜製作所 製造年:明治30年(1897) |
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<菊花御紋章付平削盤>
この平削盤は、工作物の平面を切削する工作機械である。工作物を取り付けたテーブルが前後し、テーブルの一往復ごとにバイト(切削工具)が横に移動する機構が付く。機械のトップビームに菊花の御紋章が付いていることから、この名称が付けられている。
平削盤を製作した赤羽工作分局は、明治政府の殖産興業政策のもとで、機械の国産化を目指し各種の機械を製作した工部省直轄の工場である。同工作分局で製作した機械のうち、この平削盤は現存する唯一の機械である。重要文化財。
製造者:工部省赤羽工作分局 製造年:明治12年(1879) |
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<横形単気筒蒸気機関>
この蒸気機関は、官営富岡製糸場の繰糸機の原動力として使用されたものである。同製糸場の建設を進めていたお雇外国人ブリューナ(P.Brunat、フランス人)によって輸入されたことからブリューナ・エンジンとも呼ばれている。
蒸気機関は繰糸工場に隣接する「汽罐・汽機室」に据え付けられ、動力はシャフトを通して、繰糸工場内の繰糸機に伝達され大正中頃には電動機にかわるまで使用された。
本機にはフライングボール式の調速機や「マイヤー式二重弁」と呼ばれる蒸気分配装置などが採用された。現存する国内最古の蒸気機関である。
製造者:不明 製造年:明治初期 |
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<発電機>
この発電機は金沢に初めて電灯を灯した上辰巳発電所で、二代目として使用されたものである。金沢市犀川上流の辰巳発電所が運転を開始したのは明治33年(1900)6月。この電力供給により石川県内の主力産業である繊維産業の力織機が促進された。
製造者:W・H社(アメリカ) 製造年:大正2年(1913) |
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<水車・発電機>
この水車と発電機は、明治32年(1899)12月、山形県に初めて電気を供給した米沢水力電気会社(のちの東北電力)小野川発電所で使用されたものである。
水車は横軸のフランシス水車(アメリカ製)で、現在の渦巻型ケーシングに発達する以前のタイプのもの。また発電機はアルゲマイネ社の周波数50Hzの発電機である。東京浅草集中発電所にも同社の発電機が採用され、東日本の周波数50Hzを決定づけることになったものである。
製造者:水車・レッヘル社(アメリカ) 発電機・アルゲマイネ社(ドイツ)
製造年:水車・明治30年(1897) 発電機・明治31年(1898) |