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明治23年(1890)5月から明治24年(1891)12月、海軍大佐東郷平八郎が鎮守府参謀長として呉に赴任している。東郷は在任中、呉鎮守府と呉海軍工廠を見下ろす宮原地区に暮らしており、彼が自宅から鎮守府庁舎までの通勤で通った坂道は.
今も東郷坂として知られています。
この建物は東郷平八郎が暮らしていた屋敷の離れ座敷で、戦後、市民(片山盛登氏、竹ノ中勲夫氏)からの寄付を受け、呉東ロータリークラブの創立20周年記念事業として、昭和55年(1980)に宮原地区から現在の地に移築されたものである。(国登録有形文化財) |
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旧呉海軍工廠塔時計
<日本遺産ストーリー>
明治期の日本は、近代国家として西欧列強に渡り合うために海防力を備えることが急務だった。このため、横須賀・呉・佐世保・舞鶴に近代的な軍港を整備することとした。明治以前までは独自の産業・文化を有していた海辺の4つの町に、海軍が鎮守府と先端技術を集積させた工廠を併設させ、水道や鉄道といった社会基盤の整備も進め、日本の近代化を推し進めることとなる軍港都市が誕生した。
当時建設された施設には質の高い技術が導入されており、整備から百年を超えた今もなお現役で稼働するものも多く、それぞれの都市では黎明期の近代技術が躍動した往時の姿を垣間見ることができる。
また、海軍生活に由来する食文化も伝えられており、こうした息吹を今に伝える旧軍港4市は、どこか懐かしくもたくましく、訪れる人々をひきつけてやまない。
こうした4市に共通するストーリー「鎮守府 横須賀・佐世保・呉・舞鶴 〜日本近代化の躍動を体感できるまち〜」が、日本遺産の第35号として認定されている。 |
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