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眼鏡橋は、呉鎮守府の海軍第一門前に設置されていた橋です。海軍の資料では、「境橋」とも記されている。当時は、第一門によって、市民が生活する区域と海軍の区域に明確に分けられており、眼鏡橋は、両エリアの境界に位置していた。
眼鏡橋の架設工事は、呉鎮守府の建築工事とともに進められており、明治20年(1887)9月には、架橋のための地質試験が実施されている。そして、明治21年(1888)3月31日、眼鏡橋の架設工事は、石垣・堰堤工事とともに竣工した。
昭和2年(1927)には、呉と三原を結ぶ鉄道施設のため、第一門道路に鉄道線路高架を設けることが決定している。
さらに、昭和10年(1935)には呉海軍下士官兵集会所(青山クラブ)の改築工事に伴い、敷地の拡張が行われており、河川の埋立工事が行われた。
眼鏡橋は、埋立工事によって埋設されたため、現在、陸上から見ることができないが(暗渠)、地中には橋の遺構が当時のまま残されている。 |
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当時の海軍第一門 |
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海軍第一門付近(明治末期〜大正初期) |
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