|
|
|
|
爆心地から約170mのこの建物は、昭和4年(1929)、大正屋呉服店として完成した。戦争が激しくなり、経済統制も進められ、昭和19年(1944)6月、県燃料配給統制組合に買収された。
昭和20年(1945)8月6日午前8時15分、すぐ近くの爆心地約580m上空で炸裂した原子爆弾により、コンクリートの屋根は大破、内部も破壊炎上し、地下室にいて奇跡的に生き残った1人をのぞいて全員が犠牲となった。
戦後直ちに改修し、燃料会館として利用され、昭和32年(1957)には広島市東部復興事務所がおかれ、都市の復興の拠点として貢献した。(被爆直後の燃料会館は、松本栄一氏撮影:説明板の写真を撮る) |
|
|
|
昭和57年(1982)からは平和記念公園レストハウスとして整備され、令和2年(2020)被爆75年に当たりリニューアルオープンした。
3階 |
展示室1(資料展示:旧中島地区)
多目的室(一般貸出) |
2階 |
休憩・喫茶ホール1(軽飲食提供)
休憩・喫茶ホール2(一般貸出可)
被爆ピアノ |
1階 |
観光案内及び特産品等販売 |
地下1階 |
展示室2(保存展示:地下室) |
|
|