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広島市に投下された原子爆弾 リトル・ボーイ(模型)
実際の大きさ:長さ約3m、直径約0.7m、重量約4t。(ウラン) |
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長崎に投下された原子爆弾 ファット・マン(模型)
実際の大きさ:長さ約3.2m、直径約1.5m、重量約4.5t。(プルトニウム) |
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広島市に投下された原子爆弾の炸裂。昭和20年(1945)8月6日午前8時15分(米軍撮影) |
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原子爆弾炸裂直後の広島市の状況。(模型) |
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原子爆弾炸裂直後の広島市の状況。原爆ドーム付近の様子。(模型)
<熱線による被害>
原子爆弾が爆発したとき、爆心地では、摂氏約3千度〜4千度の熱線を受けたと考えられ、爆心地から約1q以内で外にいた人は、皮膚が焼き尽くされほとんどの人が亡くなった。
また、この熱線や台所の火などによって市内の多くの場所から火事が発生し、爆心地から約2qまでの範囲で、燃えるものは全て燃えてしまった。
<衝撃波と爆風による被害>
爆発と同時に、熱によって空気が急に大きく膨らみ、数十万気圧という大きな圧力となった。この強い圧力をもった空気の壁(衝撃波)は四方に広がり、地上のあらゆるものみ大きな被害を与えた。この衝撃波のあとを追って、非常に強い爆風が吹き抜けていった。爆風のため人は吹き飛ばされ、建物も爆心地付近の鉄筋コンクリートの建物は天井が落ち、窓や扉が吹き飛ばされ、ほとんど壊れてしまった。
<人体が受けた障害>
原子爆弾は爆発したとき大量の放射線を出し、これが人体に大きな障害をもたらした。特に爆心地から約1q以内で、直接放射線を受けた人はほとんど亡くなった。
また、爆発1分後から長時間にわたって「残留放射線」があり、このため、直接被爆しなかった人でも、救援・救護活動や肉親をさがして爆心地に近い場所に行った人は、放射線による障害を受けた。
原子爆弾被爆による障害は、熱線と火事、爆風、放射線が複雑に絡み合って引き起こされたものです。そして、放射線の影響は長い間人体を苦しめた。
<原子爆弾による死亡者>
原子爆弾による死亡者の数は、今日でも正確にはわかっていない。死亡者は、爆発のさいの即死者だけではない。被爆後の約5ヶ月間に、放射線の影響などのため、多くの人が亡くなった。死亡者の数に関してはいくつかの数字が公表されているが、今のところ、昭和20年(1945)12月末までに約14万人(誤差約1万人)が亡くなったと考えられている。(画像、説明は、広島平和記念資料館・本川小学校平和資料館より引用) |