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旧相生橋は、昭和7年(1932)の架設された全国でも珍しいT字形をした橋です。昭和20年(1945)8月の原子爆弾投下の目標になったともいわれている。原子爆弾は目標をそれ、300m離れた島病院上空でさく裂した。
この原子爆弾の爆発により、相生橋は、強い爆風を受け、その爆圧は通常橋にかかる荷重の15倍にも当たる1u当たり7トンと推定されている。このような瞬間的に強い爆圧を受けた相生橋は、板バネのように大きく曲り、また跳ね返るような動きを繰り返し、同時にコンクリート床板は、宙に浮き上がった。幸い落橋を免れたので修理して被曝後約35年間使用されてきたが、老朽化のため、昭和58年(1983)10月に現在の橋に架け替えられた。
上の画像は、被爆した親柱と親柱の銅版写真を撮る。 |
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この橋名板は、原爆にあった相生橋を、昭和24年(1949)に修復した時に設置した親柱に取り付けられていたものです。また、まわりに張っている黒御影石は、この親柱に使われていたものです。
橋名板の下の画像は、被爆2ヶ月後の昭和20年(1945)10月の相生橋付近の状況です。 |
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現在の相生橋。 |
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上左画像は初代親柱、親柱の左側は旧相生橋の碑です。 |
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相生橋から原爆ドームを見る。相生橋は爆心地からの約300mの位置にある。相生橋の画像(河原四儀撮影)は展示物の写真を撮ったものである。 |