|
|
|
|
|
|
|
|
<碑文>
「天が まっかに 燃えたとき わたしの からだは とかされた ヒロシマの叫びを ともに 世界の人よ」 |
この記念碑は 原子爆弾のさくれつによって 悲惨な死をとげた犠牲者たちをしのぶブロンズ像と 熱線をあびてとかされた「力ワラ」とで 構成されている。
かわらの表面にある あわだち・火ぶくれ状の変化は これらのかわらが 想像もつかない 高い温度で焼かれたことを示しており 『広島・長崎の原爆災害』によると 爆心地(爆発点直下の地上点)の温度は 摂氏約4,000度 爆心地から1,000米の地点でも 摂氏1,800度であった とされている。
この記念碑は 爆心地から 南141米の地点にあり 護岸にそって流れる元安川は 「あの時」 市民たちのしかばねでうまった。1977年以降 平和記念公園一帯で 体験学習を続けていた広島の高校生たちは 元安川河床の泥土の中から 数千点にもおよぶ 被爆したかわらの破片を ほりだした。生徒たちは これを「原爆がわら」とよび 焼けくずれたこれら瓦片に 被爆死をとげた人間の地獄図の中の叫び 苦しみを 重ねあわせながら 被爆体験を聞く学習活動をすすめた。
そして 核戦争の悲惨さと 核兵器廃絶への課題を学びつつ 平和への決意を固めあう記念碑の建立を発起し 全国募金運動に たちあがった。呼びかけに こたえ 全国の小・中・高等学校の児童・生徒たちや 一般市民から寄せられた募金は 二千万円をこえ「あの日」凄惨をきわめた 爆心地に近い元安川のこの岸辺に「原爆犠牲 ヒロシマの碑」 は 建立された。
“ふたたび戦争の悪業を重ねてはならない 原爆の惨禍をくりかえしてはならない。”
爆発点直下にあって 一瞬にして その命を絶たれた人びと 熱線・爆風・放射線による 原爆症およびその後障害によって犠牲となった 二十数万の人間の 痛恨の叫びを ここに永遠に記し 「ヒロシマの心」として 訴えつづけるものである(背面、日英併記) |
|