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この像は、2歳の時に被爆した佐々木禎子さんが、10年後に白血病で亡くなったことをことをきっかけに、同級生たちが「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と呼びかけ、全国の3,200余りの学校や世界9か国からの寄付などにより、1958年(昭和33年)5月5日に完成したものです。
像の高さは9mで、その頂上には折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託している。側面には少年と少女の二体の像が配されている。
像の下に置かれた石像には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれている。内部につるされた鐘には、ノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹博士の筆による「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られている。この鐘と金色の鶴は、2003年(平成15年)に複製されたものです。
建立者:広島平和をきずく児童・生徒の会
制作者:東京芸術大学教授 菊池一雄氏 |
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<碑文>
○表
これはぼくらの叫びです
これは私たちの祈りです
世界に平和を
きずくための |
○裏
原爆で亡くなつた兄姉
の霊をなぐさめ世界
に平和を呼びかける
ために広島市小・中
高校の子供が結集し
全国の友達の支援の
もとにこれをつくる
一九五八年五月五日
広島平和をきずく児童生徒の会 |
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<ぞうりときんちゃく>
両親が作ってくれた晴れ着に感激した禎子さんは、一緒に買ってもらったぞうりを入院中にいつも履いていた。また、外出する時はこのきんちゃく持って出かけた。
<秘密の病床記録>(複製)
禎子さんが亡くなった後、ベッドの下から見つかった。誰も禎子さんに病名を告げていなかったが、禎子さんは自分は血液の病気だと気づいたのか、看護婦の詰め所でひそかに自分の血液検査の結果をメモしていたのだった。「白」は白血球、「赤」は赤血球、「血」は血色素(ヘモグロビン)を示している。(広島平和記念資料館) |
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昭和30年(1955)8月初旬、入院中に「折鶴を千羽折ると願い事が叶う」という言い伝えを知った禎子さんは、薬の包み紙などみのまわりにある紙で鶴を折り始めた。始めてひと月足らずで1,000羽を折り上げたと言われている。 |
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全国の児童生徒からの千羽鶴。 |