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<浜松復興記念館>
昭和16年12月に始まった太平洋戦争が長期化していく中、浜松は度重なる激しい爆撃を受け。そして、多くの尊い人命が奪われ、市街地は焦土と化した。
戦争体験者が年々少なくなっていく現代において、人々の心から戦争の記憶が風化しつつある。現在の浜松の発展の陰には、昭和20年6月18日の悪夢のような浜松大空襲に見舞われながらも、終戦後、復興事業を力強く推し進めた市民の努力があったことを忘れてはならない。
浜松復興記念館は、戦後いち早く着手した復興土地区画整理事業を記念して建設された施設です。浜松の悲惨な戦災を伝えるとともに、全市をあげて取り組んだ戦災復興の記録を通じて、浜松の発展そして将来について、広く考えていただく場となることを願っている。
上画像は足踏みミシン |
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<テレビ放送の開始>
昭和28年(1953)2月、NHKがテレビ放送を開始、続いて同年、民間テレビが放送を開始した。放送開始後、2、3年はテレビのある家は少なく、また、珍しかったのでプロレスや紅白歌合戦などの人気番組の時など、近所のテレビのある家に見せてもらいに行った。
また、街頭のテレビの前などは黒山の人だかりとなった。特に、プロレスは大人気で、力道山が外人レスラーを”空手チョップ”で倒すシーンに大いに興奮させられたものである。この”空手チョップ”は、子供たちの遊びの間で大流行した。なお、カラーテレビが放送されたのは、7年後の昭和35年(1960)からである。 |
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