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島津第28代藩主斉彬は、安政4年(1857)本丸からここ探勝園までの間に日本で初めて電信通信を始めた。線の長さは、約三百余間(599〜600m)あった。
<電信が駆けた庭園>
ー今も、斉彬、久光、忠義三公が見守るー
「トン、トン、トン、ツー、ツー……」安政4年(1857)のことです。京都や江戸では尊皇攘夷運動が激化し、やがて大老井伊直弼の手によって安政の大獄が始まろうとしていた。
積極的に西洋文化を吸収しようとしていた島津家第28代藩主島津斉彬は、日本で初めてモールス信号による交信に成功、この探勝園と鶴丸城の間(600m)で、交信を実演してみせたのです。
探勝園という庭園は、現在公園になっているが、当時は鶴丸城二の丸の名園で、山すそを利用し、滝石組を設け、その下に池泉を設け、今もその面影をとどめる見事な石橋がかけられていた。
大正6年(1917)園内とこれに隣接した照国神社境内に島津斉彬とその弟久光、第29代当主忠義の三公の銅像が建立された。 |
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