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明治8年(1875)、日本とロシアの間で「樺太千島交換条約」が締結され、それまで両国民混住の地とされていた樺太(現サハリン島)がロシア領となったことから、国境となった宗谷周辺は、にわかに緊張感を増した。
この望楼は、明治35年(1902)に旧日本海軍が建設したもので、当時最強と言われたロシアのバルチック艦隊の動きを監視するという重要任務が課せられた。
日露戦争の終結とともにその使命を終えたものの、その後は無線通信基地として、また太平洋戦争では対潜水艦監視基地として機能した。
稚内市内では現存する明治時代の建築物で、昭和43年(1968)市の有形文化財に「大岬旧海軍望楼」として指定された。 |
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旧海軍望楼から眺めた宗谷岬の景観。 |
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