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 <過ぎし日の記憶を巡る写真紀行

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浴場 網走監獄  北海道網走市
浴場
浴場 浴場
 この浴場は、明治45年(1912)から昭和54年(1979)まで網走刑務所で使用されていたものを再現したものです。「湯気抜き」を設けた木造平屋総煉瓦葺きの建物は明治大正期の「銭湯」の様式を偲ばせている。
 浴槽は、それまでの木製にかえて当時としては近代的なコンクリートで造られた。給湯は再建時に炊飯、通電用に設置されたボイラーによって、それまでの湯を沸かしてくみ入れる差湯方式から鉄管を浴槽にとりつけ蒸気を通してわかす方法が取られた。 
 一般家庭に比べて浴槽が98pと深いのは、浴槽に座って入るのではなく、立ち腰で手を上げて入浴しなければならない規則あったためです。
浴場
監獄の入浴
 多くの囚徒が寝食を共にする刑務所では食中毒や伝染病の発生に気をつかい衛生状態の維持に注意がはらわれた。したがって入浴は衛生管理に上欠かせないもので、明治5年監獄則においても「毎日囚人を罷役後(作業終了後)入浴せしむ」と定められていた。
 しかし、実際には1ヶ月5回前後だった一方、囚徒にとっては厳しい環境のもとで。わずか15分程度の入浴であったが、食事、就寝とともに所内では数少ない楽しみの一つであった。 
入浴方法
 15人単位で脱衣から着衣まで約15分、一槽入浴(3分)、洗体(3分)、二槽入浴(3分)、洗顔(3分)が号令によって行われたが、現在は電令(ベル)で合図される。1日(朝から夕方まで)に入浴できる人数は約200人で1000人の囚徒が全員入浴するのに5日間かかった、しかし、出所する囚徒には、その前日に一人だけでゆっくり入浴することが許されていた。
入浴用品
○タオル:官給品のタオルは白色と決められているが、成績優良者は所内で指定されたものを自費で購入できる。色物や柄物を購入して使用する物が増えている。
○石鹸:かつては密かに石鹸を持ち出す者もいたので、石鹸に穴をあけて天井から紐でつるしたこともあったという。現在は官給品の石鹸が木箱に備え付けられている。
浴場 浴場
看視の方法> 
 起床から還房までの囚徒の行動を付き添っている「担当看守」に引率されて浴槽に入る。浴場には浴場係の看守がいる。脱衣場に1名、浴場に1名が所定の位置から脱衣、着衣までの合図をおくり、短時間で入浴を済ませることが出来るよう看視している。私語を話したり、浴槽の中で物品の受け渡しがないよう看視を続ける。
北海道
網走監獄 正門(煉瓦門) 旧正門 鏡橋 赤煉瓦外塀の煉瓦
配置図 看守控え室 舎房・中央見張所 ニポポ
教誨堂 作業場 事務庁舎 監獄歴史館
食堂 職員官舎 炊場 網走刑務所水門
耕耘庫 稲架掛け 鍛冶作業 正月特別献立
懲罰房 独居房 浴場 野作業
二見ヶ岡刑務支所 面会人待合室 庁舎 外役所正門
二見湖畔神社 網走刑務所裏門 哨舎 二見湖畔神社
講堂 刑務所の中 撮影場 網走刑務所の歌
小樽 裕次郎ホーム 旧手宮線・色内駅 小樽運河
稚内 旧海軍望楼 稚内港北防波堤ドームnew
日本最古のコンクリ電柱 サッポロビール博物館 北の国から 旧神居古潭駅 旧留萌駅
東北
東日本大震災 田老の大防潮堤 石ノ森萬画館 女川の津波被害
チリ地震津波
関東
東京 東大・安田講堂 駆逐艦の錨 原首相遭難現場 浜口首相遭難現場
戦艦陸奥の主砲 かこい(犬屋敷跡) 二重橋飾電燈 東京駅警備巡査派出所
2.26事件 本郷菊富士ホテル跡 戦災の証言者 皇居正門石橋飾電燈
赤坂離宮正門哨舎 瓦斯灯 泰緬鉄道C56 旧新橋停車場
鉄道寮新橋工場 北里研究所 日本赤十字社中央病院 宗教大学車寄
東京駅赤レンガ駅舎 東洋女子歯・医専門学校 ナヒーモフの主砲 萩の舎跡
神田上水路 本郷喜之床 かねやす 第四(本妙寺)校跡
濟生學舎 五輪マーク 歯科医学教育発祥地 中野サンプラザ
駅伝の歴史
横浜 ゲーテ座跡 根岸競馬記念公苑 フランス山 北朝鮮工作船
横川駅 昭和の浦安 前橋監獄雑居房 カノン砲 壱岐丸の号鐘
らお車 旧三笠ホテル
甲信越
旧松本少年刑務所 御坂隧道
東海
明治村 シアトル日系福音教会 ハワイ移民集会所 ブラジル移民住宅 瓦斯燈
歩兵第六聯隊兵舎 名古屋衛戌病院 第八高等学校正門 半田東湯
名鉄岩倉変電所 自動電話
浜松 戦火を超えた市民の木 ガス燈 旧二俣町役場 火の見櫓
宣戦布告の詔書 千人針 ブリキの玩具 焼夷弾
浜松大空襲
豊橋 二川トーチカ 歩兵第18聯隊跡
ボンボン時計 十六銀行旧太田支店 手押しポンプ 伝 酒井之太鼓 旧赤松家
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京都 京都七條巡査派出所 旧二条駅舎 日本映画発祥の地 電気鉄道事業発祥地
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大井牛肉店 太陽の塔 サンタ・マリア
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