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雨が降り、受刑者が作業できない時に、この場所で収穫していた野菜、穀物を選別する仕事をしていた。二見農場は寒暖の差が激しいため、ジャガイモ、小豆、金時豆などは、特に育ち収穫も多いため、生産したものを出荷できるように選別、袋詰めなどの作業も受刑者が行っていた。低農薬と肥沃な大地で作られた作物は需要も多く、この作業場でストーブを囲み、出荷や来期に向けた準備に追われていたようです。 |
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<刑務所の中での作業>
作業の目的が自給自足であった頃、自分達の使う道具も、自分達で製作していた。鉋(カンナ)などを使用した木材の製材作業、藁打鎚(わらうちつち)や俵編み器を使用した藁細工作業です。
これらの作業によって、建築資材や収穫作物を梱包する俵や筵(むしろ)、様々な作業に使われる縄などが製作されていた。
明治34年(1901)当時の配役状況には、藁細工は73名の囚人が、木挽工(各所の修繕や製作に利用される製材の調整)は27名が担当していたと記載されている。 |
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<作業賞与金>
収容者は刑務所から支給される物品(官給品)は着用することが原則であるが、成績の良い者は累進級によって作業賞与金の中から定められた物品を購入したり(自弁品)、差し入れ品を使用することができる。
作業賞与金は、作業で収容者に支給されるもので、昭和55年(1980)の全国平均は一人当たり月額2,716円になる。このうち自弁品の購入ができる金額は、累進級4級で5分の1、3級では4分の1、2級は3分の1,1級は2分の1である。自弁品や差し入れ品の使用期間中の官給品は除外される。
<作業賞与金の送金>
作業賞与金は、決められた範囲で自弁品を購入できるほか計算だかの3分の1以内について親や妻子、犯罪被害者に送金することができた。
また、累進級1級、2級の者は、決められた作業のはかに「自己労作」が許され、その収益は全額本人のものになるので、送金のために就労する者もいた。 |