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明治23年(1890)に釧路監獄署網走外役所として設置されて以来、農業監獄として整えられた明治30年代の網走監獄建物群は北海道集治監樺戸本監や北海道集治監釧路分監の建物群をしのぐ優れたものであったといわれている。しかし、これらの建物は明治42年(1909)の火災によってことごとく焼失してしまった。
この旧網走監獄教誨堂は明治45年(1912)の復旧時に建てられたものだが、受刑者たちは、「ここは神仏の宿る家だから」と、どの建物よりも精魂を込めて造ったといわれている。ここでは、宗教心を持つことの大切なことが説かれ獄則を守り、希望をもって再生への道を歩むことが教え導かれた。
戦後は、教誨堂で軽スポーツや、舞台が造られて演芸会や映画会が催され、受刑者の唯一の憩いの場になった。 |
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ここは、受刑者の犯罪ですさんだ心を宗教の力で更生させようとする教誨事業が行われた講堂です。僧侶、牧師さん、民間有志の方々が訪れ受刑者を慰問した。建築当時は正面に祭壇が設けられていたが、戦後は宗教色をなくし舞台として使用されていた。照明器具の天井飾りや押上窓など洋風建築が取り入れられ、本所の教誨堂と同じ建築様式になっている。受刑者の心のよりどころとして教誨は特別な場所だったようです。重要文化財。 |
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