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鍛冶作業の際に火床への送風用の道具として、鞴(ふいご)など様々な昔ながらの鍛冶屋の道具が用いられていた。当時の鍜冶屋の製品は様々な生産用具から、家庭用の包丁やマサカリなどまで多種多様であり、どこの町や村にもあり、農村や山村では農具や山林用具、漁村では漁具、炭鉱町では手掘りの採炭用具というように地域によって特徴があり、生産活動に密接に結びついていた。
北海道の野鍛冶からは、明治初期より在来の鋤や鍬を製作することに加えて、様式畜力農具のプラウやハローの普及により製作を手掛けなければならない事情が生まれ、求められる技術の幅も広がった。
網走には、鍛冶業が大正時代には9戸あり、網走監獄では、網走外役所設置当時から配役状況に鍛冶工が存在し、農具などの鍛冶製品の製造・修理などが行われていた。その当時の作業の中心が開墾、耕耘、土方などであったことから、開墾、農作業に使われる農機具や土方作業に使われる道具の製造と修復が主な作業であったことが推測される。 |
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