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<旧網走監獄 二見ヶ岡刑務支所> 国指定重要文化財
この建物は、網走刑務所の農園作業の先進的施設として明治29年(1896)に網走の西方丘陵地に「屈斜路外役所」として設置された。網走湖、能取湖の二つの湖を眺望できる位置に建設され、その後「二見ヶ岡刑務支所」として改名された。
一世紀を超えた今日も、網走刑務所収容者の食糧を担う場所として、また広い農場で収容者が作物の管理から収穫まで自立的に行う開放的処遇施設として重要な役割を果たしている。現存する木造刑務所として最古で平成11年(1999)博物館に移築した。
各建物の建築年代は、庁舎、舎房、炊場が創建当時の明治29年(1896)、教誨堂、食堂が大正15年(1926)、鍵鎖附着所が昭和5年(1930)です。明治29年当時は各建物が独立して建っていたが、大正以降施設の重要性が高まるととに必要な建物を整え、渡り廊下で接続し、庁舎も改築され、ほぼ現状の586坪農場施設になった。 |
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<網走刑務所二見ヶ岡支所の通信手段>
明治29年(1896)に開設された網走刑務所二見ヶ岡支所に電話が開通したのは昭和12年(1937)のことです。それまでの間、緊急を要する連絡や定期的な報告手段のひとつに鳩を使い行っていた。何百qも離れたところから、何日間もかけて迷うことことなく巣に戻ってくる伝書鳩は有効な通信手段として利用されていた。
二見ヶ岡支所では鳩を飼育調教し、脚環に電文を(収容人員と異常なし等)入れ二見ヶ岡より網走刑務所まで鳩を飛ばし続けていた。通信手段の限られた時代において伝書鳩は大変重要な働きをしていた。 |
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