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秋葉街道の宿場町、旧南信濃村(現・長野県飯田市和田)の中心地である和田。戦国時代は遠山氏の城下町として、江戸時代には秋葉街道の宿場町として栄えた。
遠山氏は、元和4年(1618))に滅んだが、三代にわたって和田城を治めていた。その城下町は、盛平山と遠山川の間に広がり、和田城の外廓の役割を果たしていた。現在の和田本町地区だったようです。武田信玄は、元亀3年(1572)に遠江(現・静岡県浜松市周辺)方面に向かうため和田を通過している。ここから青崩峠を越え遠江に向かっている。
明治29年(1896)からは王子製紙による山林伐採が始まる。大勢の山林労働者により、明治・大正期にはこの地域一の大繁華街になった。 |
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遠山郷の領主遠山氏は、多年居住していた名古山・長山城からこの地に移り、天文の末頃(1550)和田城を築いた。
しかし、遠山氏は元和3年(1617)に家督相続のもつれから家督取締のかどで改易となり、幕府直轄領となった為、武家諸法度一国一城令により、和田城は廃止された。
その後、慶安元年(1648)家光より龍渕寺へ朱印地として下付され、慶安4年(1651)以後、寺の境内地となっていた。現在、城跡に郷土のシンボルとして郷土館和田城が建設されている。 |
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街道のやや小高いところに大きな桜を見上げる。坂道を上っていくと小さな神社の脇に和田宿を見下ろすように咲いている。 |