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江戸に出入りする六つの街道の入口にそれぞれ一体ずつ安置され、「江戸六地蔵」と呼ばれた。旅の安全を見守ってくれた地蔵である。真言宗医王山真性寺にあり、大きな傘をかぶり、杖を持つお地蔵様です。境内には松尾芭蕉の句碑もある。
<江戸六地蔵>
一番 品川寺 品川区南品川三丁目
二番 東禅寺 台東区東浅草二丁目
三番 大宗寺 新宿区新宿二丁目
四番 真性寺 豊島区巣鴨三丁目
五番 霊巌寺 江東区白河一丁目
六番 永代寺 江東区(消滅)
<銅造地蔵菩薩座像>
像の高さは2.68m。深川の地蔵坊正元が発願し、江戸市中から多くの賛同者を得て、江戸六地蔵第四番(巡拝の順番は三番目)として、正徳4年(1714)頃建立したものである。
製作者は神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀。大正12年(1923)の震災により破損したが修理されている。 |
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<旧中山道はタネ屋街道>
旧中山道を通る旅人の中には弁当を食べるため、街道沿いの農家に立ち寄り、縁側を使わせてもらう人などもいた。旅人は、農家の庭先や土間で見慣れない野菜を見かけると、国元で栽培しようと、タネを欲しがる人も多く、やがては農家の副業としてタネを販売するようになった。その後、江戸・東京が生んだ滝野川ゴボウ、滝野川ニンジンなど優れた野菜が出現するとタネを扱う専門店ができ、明治の中頃には巣鴨のとげぬき地蔵から板橋区清水町にいたる約6qの間にタネ屋問屋ら9戸、小売店が20戸も立ち並びさながら、タネ屋街道になっていた。
寛永20年(1643)の代官所に申告した書き付けに、長野県諏訪からきたタネの行商人が榎本種苗店(豊島区西巣鴨)に仕入れにきた模様が記されている。
馬12〜3頭をひいてタネを仕入れ、帰り道「萬種物」の旗を立てて街道のタネ問屋に卸していったり、農家に販売して歩くなど、さながら富山の薬売りと同じようにタネも行商により商われていた。 |
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