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江戸時代のはじめ、ここに高札場が設けられて、布告法令などが掲示されたところから、札の辻と呼ぶようになった。元和2年(1616)には、芝口門をここに建てて、江戸正面入口としての形式を整えた。この門は「日暮御門」(ひぐらしごもん)といわれたが、これはこの東がすぐ江戸湾に接し、海を隔てて房総の山々を望む、一日眺めてもあきない景色であったためといわれる。
その後高札場は、天和3年(1683)に南方の高輪(後の大木戸の場所)に移された。また、宝永7年(1710)に、芝口門は新橋北側に建替えられ、ここは「元札の辻」と呼ぶようになったが、明治維新後はまた「元」を略して「札の辻」と呼んでいる。 |
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