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この石畳は、江戸時代幕府が近郷集落の助郷に命じ、東海道金谷宿と日坂宿との間にある金谷峠の坂道を旅人たちが歩き易いように山石を敷き並べたものであるといわれている。近年、僅か30mを残す以外は全てコンクリートなどで舗装されていたが、平成3年、町民約600名の参加を得て実施された「平成の道普請」で延長430メートルが復元された。
いま、街道の石畳で往時を偲ぶことができるのはこの金谷坂のほか、箱根峠、中山道十曲峠の三個所だけとなった。
金谷坂を日坂宿方面へ上っていく。 |
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<鶏頭塚>
鶏頭塚は、旧東海道の石だたみの坂道の途中にある。塚の名のいわれとなった、
「曙も夕ぐれもなし鶏頭華」
の句と「六々庵巴静寛保甲子四年(1744)二月十九日没」と刻んだ自然石の碑である。巴静というのは蕉風をひろめた江戸時代の俳人で、その教えを受けた金谷の門人たちは師の徳を慕って金谷坂の入口北側の辺にこの句碑を建てた。この碑石は道路工事等に伴いその都度移動したが、風雅の心ある地元の人々の心配りによって保存が図られて現在に至っている。
なお、塚の裏に位置する庚申堂は昔から土地の人々に信仰され、徳川時代の大盗日本左衛門がここを夜働きの着替え場所としたことが口碑として残っている。 東海道 金谷宿 |
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金谷坂を金谷宿方面へ下っていく。 |
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<長寿・すべらず地蔵尊>
このお地蔵様・六角堂・鞘堂は、町民の手により据えられたものです。すべらずの地蔵のいわれは、ここの石畳は「すべらない」という特徴から、受験や商売など、何事にも願いが叶うということからきている。 |