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この模型は坪内逍遙の父平右衛門が役人として勤めていた太田代官所で坪内逍遙自身が書き残した廓内平面図を基にして縮小し復元したものです。
太田代官所は天明2年(1782)尾張藩直轄の代官所として大田村光徳(現在の太田小学校付近)に設置され、以後、明治の初年まで87年間尾張藩北部支配の拠点となっていた。
中山道会館に筏流しの模型が展示されていたので併せて掲載する。 |
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南北朝中期の伊勢神宮用材にはじまる木曽川の筏流しは、室町時代に入ると京や鎌倉へと需要が拡大した。木曽の用材は信長、秀吉、家康の時代も利用され続けた。また、飛騨川筋の運材も盛んに行われ、木曽川筋を凌ぐ量であったとされる。
寛政年間の『濃州徇行記』(のうしゅうじゅんこうき)によれば、当時の大田村には43名の筏乗がいた。また、周辺の川合・小山村にも筏乗が同じようにいた。しかし、木曽・飛騨の運材は昭和初期に行われた各地のダム建設により廃止された。
現在では筏に組まれないが、20年に一度行われる伊勢神宮の「式年遷宮」により、御神木が太田のまちを通る。平成17年(2005)6月、奉安所の木曽川緑地ライン公園に到着し、奉迎送祭が営まれた。 |
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