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藤川宿は江戸時代の東海道の宿場の内、品川宿から数えて37番目の宿場町であり、伝馬朱印状が慶長6年(1601)に発給された。そのため、本陣・脇本陣・問屋場などが置かれ、東海道の交通を担った。
東海道五十三次の中では小さな宿場の部類に入るが、往時を伝える史跡が残っており、宿場の西には約1qの松並木がある。
本陣1、脇本陣1、旅籠36軒。宿人口1,213人、家数302軒。(天保14年(1843)「宿村大概帳」の記録)
<松並木>
天保14年(1843)には、34間の長さが続いていたと伝えられる藤川の松並木。昭和38年(1963)に岡崎市指定の天然記念物になった際には、幹囲2mのクロマツ90本が町の西はずれに約1qに渡って東海道の左右に立ち並んでいたという。 |
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