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野麦峠に向かう山道。明治時代、若い女性が製糸工場へ働きに行くために家を出て、この山道を野麦峠へ向かった。自宅へ帰ってくるのは、盆と正月、それから病気の時だけであった。山村では現金収入が少ない。農家の口べらしのため娘たちは、信州へ糸ひきに出て行った。娘たちが製糸工場から持ち帰る金が貴重な収入になったのである。12歳の少女でも家を離れて出稼ぎに行ったのである。正月が過ぎると飛騨各地から集められ標高1600mの野麦峠を越えて行くが、この時期の野麦峠は厳寒の峠道である。その当時のいでたちで冬山の厳しい旅を想像するだけでも辛い悲しい話である。彼女たちは、1日14〜15時間も働き、金を稼いだ。それで、親達の借金を返し、家計の足しにしていった。日本の資本主義黎明期の底辺を支えた哀しい実話である。
野麦峠は標高1672m。飛騨(岐阜県)と信州(長野県)の国境にある峠で、この街道は鎌倉街道、江戸街道と呼ばれるように飛騨と信州、江戸を結ぶ古くからの重要な路線だった。車で走るのではなく、この山道を歩かなければ彼女らの心情はわからない。すぐ近くの野麦峠に、資料館がある。 |
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