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新居関所は今切の関所とも言い、慶長5年の秋、徳川家康が新居の元屋敷に創設したが、その後津波のため元禄14年中屋敷に、宝永5年現在の所に移転した。
敷地は方約1町西に大門があって明六つに開き暮六つに閉じた。常備の武器は長柄10本弓及び鉄砲各25挺手鉈取縄三ツ道具等があった。女鉄砲手負死人及び首等は証文がなくては絶対に通さなかった。始めは幕府の直轄であったが元禄15年吉田藩主(現・愛知県豊橋市)に移管して明治維新に至った。 |
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今の建物は安政2年の改築で大正10年(1921)文部省から保護建造物に指定されたが昭和25年(1950)文化財保護委員会から史跡として、昭和30年(1955)8月、国の特別史跡に指定された。 |
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<渡船場跡>
江戸時代、新居と舞坂(現・舞阪)の間は渡船による交通が行われた。これを今切渡船と言った。この渡船場跡は、宝永5年(1708)に今切関所が現在地へ移転してからのものである。大正以降の埋め立てにより今はその面影を全くとどめていないが、平成14年(2002)、渡船場の一部を復元整備した。 |
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<船囲い場跡>
宝永の災害によって宿場、今切関所が現在地に移転してから渡船用の船をつないだ所。この入り江には常時120艘(そう)の渡船が配置されていた。大名の通行等で多くの渡船が必要な場合は「寄せ船制度」により近郷から船が寄せ集められ、不足を補った。 |