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升形は、道路を直角に曲げ、敵が容易に侵入できないようにしたり町の中を見通せないようにしたりしたもので、岩村城下町では、下町、新市場、新屋敷の3箇所の町の入口に設けられていた。
ここ下町の升形は、城下町の西の入り口にあたる。岩村から名古屋や中山道へ向かう街道の起点 となっており、3個所のうちでは最も規模が大きかった。周囲は土塁で厳重に囲まれ、本町(本通り)の入口には木戸が構えられていた。右手(南)の柳町の入口には下目付、町同心小頭、町同心の長屋があった。番所の役割も果たしたのだろう。升形の内部は長方形の広場になっており、高札場が設けられていた。
左手の祥雲寺(西町庚申堂)は盛巌寺の付属で元和年間(1615〜1624)の創建と伝えられる。下手の西町は、江戸中期以降に発展した町並みで、土塁の下手にあたることから「土手下」とも呼ばれていた。お堂の前を西町に向かって流れる石組みの水路は天正疎水である。 |
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