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ここは、江戸時代初期に藩主が庶民の拠り所に「祥雲寺」を建立した。本堂前の石造物のうち1段目画像の右から3つは地元では無縁仏呼ばわりをしていた。
「歴史掘りおこし読本」によって、各石仏が地元最古と判明、町並み保存地区の構造物(文化財)に認定された。その後の修復工事で4段目右画像の台座に不思議な石仏二基(1段目画像左二つ)が伏せ込まれ、新たに五基にして祭祀された。(1段目画像の五基)
特に「幸せ地蔵さん」(上画像右から2番目)は江戸時代から信仰が篤く、県下でも超一級の地蔵である。 |
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<名号碑>上左画像
称念する者、必ず極楽往生する。寛文5年(1665)寄進者20名。町内で最古万治の石仏洋式を伝える。
<地蔵菩薩>上右画像
舟形光背浮彫立像。延宝7年(1679)当時の住職の発起「三尊の脇侍、観世音菩薩と勢至観音」 |
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<阿弥陀三尊文字塔>上左画像
延宝7年(1679)万治の作仏聖
<名号碑の下半分「弥陀仏」>上右画像の右側
名号碑の下半分「弥陀仏」が割られて敷石に伏せ込まれていた。
<記念碑>上右画像の左側
城下町行者八兵衛が「仏門に入り仏道を成就」した記念碑が伏せ込まれていた。 |
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<手水鉢>上左画像
丹羽扇の手水鉢。岩村藩の2代目藩主・家紋は丹羽扇
<修復後の台座>上右画像 |