|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
江戸時代、細江町を東から西に横切っていた街道を、東海道本坂越又は本坂道・本坂街道・姫街道などと呼んでいた。気賀関所は慶長6年(1601)に徳川家康によって創設されたといわれている。敷地は547坪(約1805u)で裏に竹藪117坪(約386u)、東に冠木門(かぶきもん)(高麗門)、この門を入り正面となる北側に旅人を調べる本番所、南側に相対して牢屋が設けられていた向番所、さらにその南に遠見に使用された遠見番所、西側には町木戸門で気賀宿と接していた。
江戸時代の関所は、幕府の所在する江戸防備を目的として設置された。一般に「入り鉄砲に出女」といわれるように、鉄砲が江戸に持ち込まれることや、人質として住まわせていた大名の妻子などが国元へ逃げ帰ることを防ぐため関所で取り締まった。
気賀関所は、箱根関所・今切(新居)関所とともに東海道の三関所といわれた。気賀関所の関守は、元和5年(1619)から明治2年の関所廃止まで旗本近藤家が代々拝命した。番頭2名、平番4〜5名が主に取り調べにあたった。 |
|
|
|
|
|
平成元年度(1989)ふるさと創生事業として、現存する史料を調査して、寛政元年(1789)初めて瓦葺に改築された気賀関所を冠木門、本番所、遠見番所、制札場、雪隠(せっちん)三ツ道具立、槍立、矢来などで再建し、等身大の人形を配置して当時を再現した。 |
|