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<二つ御堂>
奥州平泉の藤原秀衡と、その愛妾によって、天治年間(1125年ごろ)創建されたと伝えられている。
京へ出向いている秀衡公が大病であることを聞いた愛妾は、京へ上る途中、ここで飛脚より秀衡公死去の知らせ(誤報)を聞き、その菩提をともらうために、北のお堂(阿弥陀如来)を建てたという。一方、京の秀衡公は、病気が回復し、帰国の途中ここでその話を聞き、愛妾への感謝の気持をこめて、南のお堂(薬師如来)を建てたという。
現在の北堂は、昭和三十年改築、阿弥陀如来・地蔵菩薩・毘沙門天が、南堂は、昭和十二年新築、薬師如来・不動明王・大日如来が祭られている。
毎年十二月十四日、供養が行われている。 |
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東海道を挟んで南北に2つの御堂が向かい合って建っている。
<秀衡松>(ひでひらまつ)
二つ御堂の西に周囲二丈余(約6m)の秀衡松と呼ばれる古い松があった。「秀衡の側室の亡骸を埋めた所に、秀衡が植えた松である」と伝えられている。明治15年頃までは老木となって残っていた。―浜名郡誌より― |
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