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箱根関所が、江戸幕府によって、山と湖に挟まれた交通の要衝であるこの地に設置されたのは、元和5年(1619)のことと伝えられている。関根関所は、江戸幕府の江戸防衛のために、全国に設置した53ヶ所の関所のうち、東海道の新居(静岡県)、中山道の碓氷(群馬県)、木曽福島(長野県)と並んで規模も大きく、特に重要な関所と考えられていたようである。
この関所の配置は、箱根山中の東海道の中で、屏風山と芦ノ湖に挟まれた要害の地形を利用して、山の中腹から湖の中まで柵で厳重に区画し、江戸口・京口両御門を構え、大番所と足軽番所が向き合うものとなっている。
一般的に関所では、「入り鉄砲に出女」を取り調べたと言われているが、この箱根関所では、江戸方面からの「出女」に対する厳しい取り調べを行っていた。
江戸時代を通じて機能を果たしてきた関所だが、設置から250年後の明治2年(1869)、新政府により関所制度が廃止され、その役割を終えた。
箱根関所の跡地は、大正11年(1922)、「箱根関跡」として国の史跡に指定された。昭和40年(1965)には番所の建物が建設され、その後、昭和58年(1983)、江川文庫(静岡県伊豆の国市)から、慶応元年(1865)に完成した箱根関所の大規模修理についての克明な資料『早州箱根御関所御修復出来形帳』が発見され、資料の解析や跡地の発掘調査を経て、平成19年(2007)春、国土交通省、文化庁、神奈川県の補助を受けた復元整備を終え、箱根の関所は往時の姿によみがえった。 |
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江戸時代、箱根関所に建てられていた厩(うまや)には、5頭の馬をつなぐことができるようになっていた。しかし、実際には、2頭しかおらず、空いた場所には、関所の周りに廻らした木柵の予備や外掃除の道具、火を消す道具などが納められていた。厩は、納屋と兼用だったようである。 |
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遠見番所から見下ろした箱根関所。左側が京口御門、右側が江戸口御門になる。背後の湖は芦ノ湖になる。 |