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山村氏は鎌倉幕府の大学頭大江匡衡(まさひら)一族の流れを祖とし、木曽義元の食客となったことにはじまり、木曽氏の重臣として活躍した。
後に「関ヶ原」に向かう「徳川秀忠」の先陣を承って活躍し、勝利を得た事から木曾谷の「徳川直轄支配」を任される「木曽代官」となり、以後明治2年まで274年間木曾谷を支配し、関所を守っていた。 |
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<消防衣裳> (上左画像)
江戸時代、山村家家臣の着用した消防衣裳である。生地は夏衣はあさ、冬衣はウール、らしゃ。羽織、胸当、当帯と被り物兜頭巾からなり、いずれも同色である。羽織には家紋と三つ胸当の中央に家紋がつけてある。
<天目台> (上右画像)
屋敷に大名が立ち寄ったさい、抹茶を点てて差し上げる時の茶碗を受ける台。 |
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平安時代から伝わる日本の遊びである「貝合わせ」や人形など当時の様子を彷彿させてくれる。山間地にもかかわらず伊勢エビなどの豪華料理の数々。 |
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木曽の山林と4大関所の一つである「福島関所」の関守を兼ねていたその権力は強大で、その屋敷は豪壮を極めたものだった。文政11年の絵図によると現在の「福島小学校」を含めた敷地に庭園が20あり、そのうち「築山泉水」の庭が5つ、その1つが現存する「下屋敷」とその庭である。 |