|
|
|
|
|
|
|
|
<草津宿・道標>
ここはかつての日本五街道の最幹線で東海道と中仙道との分岐点である。トンネルのできるまではこの上の川を越せば中仙道へ、右へ曲がれば東海道伊勢路へ行けた。草津川(天井川)の南側堤に建つ追分の道標は「右東海道いせ道、左中仙道美のぢ(美濃路)」と記されている。
この地は草津宿のほぼ中心地で、高札場もあって旅人にとっては大切な目安であった。トンネルをくぐれば中仙道、手前を右に進めば東海道。道標を前にして、江戸を目指す旅人は右にするか左にするか思案し、一方西へ向かう人々は、京を間近にし、ホット安堵のいろをうかべたものでしょう。
この道標は、多くの旅人が道に迷わぬよう、また旅の安全を祈って文化13年(1816)江戸大阪をはじめ、全国の問屋筋の人々の寄進によって建立された。高さは一丈四尺七寸(4.45m)で火袋以上は銅製の立派な大燈籠であり、火袋以上は、たびたびの風害によって取り替えられたが、宿場の名残りの少ない中にあって、常夜燈だけは今もかつての草津宿の名残りをとどめている。 |
|
|