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絹や麻で作られた布は土の中で分解され、遺跡から出土することままれである。吉野ヶ里遺跡で出土している布は、全て甕棺(かめかん)の中から発見された。出土している布は、経糸と緯糸を交互に上下させて織る平織りで作られている。
弥生時代には現在のような織機のようなものはなく、腰機(こしはた)と呼ばれる方法で織られていたと考えられている。東アジアの民族例では、北方系の8の字状に経糸を張る直状式と、南方系の螺旋状に糸を張る輪状式の2種類の腰機がある。
弥生時代の腰機の多くは、経糸を8の字状に張る直状式で復元されている。一方輪状式はそれまで布巻貝が経巻貝と考えられていた木製品が玉津田中遺跡で、2本組み合った状態で出土したことで注目された。一対での使い方を検討したところ、形の特徴や民族との比較から、新たな輪状式の復元が可能となった。 |
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