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蜆塚遺跡は、佐鳴湖の東側の台地上に営まれた縄文時代後期の前葉から晩期前葉(約3,000〜4,000)のムラの跡で、貝塚や住居跡、墓などが見つかっている。
住居跡はいづれも平地住居で、柱穴や炉跡が見つかっている。同時に建っていたのは4〜5棟で、約20人が生活していたと推定される。 |
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4つの丸い穴に柱を埋めて、木や草で屋根をつくった。地面を少し削って床とし、中で火をたき、家の中を明るくしたり、食べ物を料理したりした。おそらく家の周りに土を積んで、雨が入るのを防いだものと思われる。 |
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貝塚は、ムラを囲むように4ヶ所あり、シジミなどの貝殻のほか、動物や魚の骨、土器や石器、骨角器などが見つかっている。狩りや漁、植物の採集によって食料を得ていた様子がわかる。 |
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墓から見つかった人骨は30体近くにのぼり、その多くは「屈葬」という膝を折り曲げて胴ににつけた状態で埋葬されている。また、身に着けていた装身具も出土している。
当時の人々は、平均して40歳ぐらいで一生を終わり、その墓はムラの中へつくった。長さ150p。幅80p。深さ50pほどの墓穴が30見つかった。首飾り貝の腕輪などをつけた人骨が掘り出されている。なお、発掘後は埋め戻してある。
このように縄文時代の生活の様子を知ることができる重要な遺跡として、昭和34年(1959)に国の指定史跡となっている。 |