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<複雑な配石構造をもつ大型の環状列石を伴う祭祀遺跡>
南東部に八甲田山西麓が広がる標高80〜160mの舌状台地上に立地する。環状列石は、中央帯が直径2.5m、内帯が直径29m、外帯が直径35mの三重となっているほか、その周りに一部四重となる列石などが配置され、全体で直径55mになる。
内帯と外帯は楕円形の石を縦に置き、両側に平らな石を数段積み重ね、石垣を築くように並べられている。他に捨て場、湧水遺構、土坑墓群や土器棺墓なども発見されている。
土器や石器の他、土偶や動物形土製品、鐸形土製品、三角形岩版などのまつりの道具も多数出土している。共同墓地であるとともにまつりや儀式の空間であり、周辺の複数の集落によって環状列石が構築され、祭祀的な活動が行われていたものと考えられる。(紀元前2,000年頃) |
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縄文人たちは、運んできた石を切土や盛土の段差を利用しながら、平らな石を縦横に繰り返して並べ、約2,900個の石を使用して環状列石を作った。
環状列石は「中央帯」「内帯」「外帯」の三重構造の円環状の列石を中心に、一部四重となる「弧状列石」「直線状列石」、外帯を囲むように配置された「環状配石」、内帯や外帯に付随した「特殊組石」などで構成されている。
外帯と内帯は、楕円形の石を縦に置き、その内側に平らな石を数段積み重ね、あたかも石垣を築くように並べられている。その縦横交互の列石は、全国的にも珍しく”小牧野式”配列(配石)とも呼ばれている。また秋田県の伊勢堂岱遺跡の環状列石の一部にも同じような配列が見られる。 |
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江戸時代に作られた馬頭観音。当時の人にとって、ここが小牧野遺跡とは夢にも思わなかったのだろう。 |
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<土坑墓>
100基をこえる土坑墓 が環状列石の東側の墓域に分布している。墓には円形や楕円形のもの、貯蔵穴を再利用したものなど、さまざまある。 |
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<捨て場跡>
捨て場跡は、沢地形へと傾斜が始まる地点に形成されており、多量の土器・石器のほか、土偶や三角形岩版などが出土している。 |
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<土製品と石製品>
土製品は、粘土を焼いて作った製品のことだが、ここでは容器としての土器を除いている。これまでの発掘調査では、小牧野遺跡からは852点の土製品が出土したが、土偶やミニチュア土器など実用品として考えににくいものばかりだった。
石製品は、石を素材として作られたものだが、ここでは石器を除いている。これまでの発掘調査では、小牧野遺跡からは919点の石製品が出土しており、その多くは三角形岩版や円形岩版だった、
中には穴のあいた有孔石製品のようなアクセサリーとして使用されたものもあった。 |
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<土器棺墓>
土器棺墓とは、埋葬あるいは風葬した遺体を朽ちた後に取り出して、その遺骨を土器棺に納め、再び埋葬する施設のことで、再葬墓とも呼ばれている。小牧野遺跡からは、環状列石の内帯と外帯の間から、4つの土器棺墓が発見されている。 |
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<土器>
小牧野遺跡から出土した縄文時代後期の土器は、鉢や壺、注口土器などの器種が、その前の時代より増えたほか、製作技術も一段と進歩していた。また、日常生活で使用するための土器や祭祀の際に使用するための土器など、用途に応じて使い分けていた。 |
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小牧野遺跡は、縄文時代後期前半(約4,000年前)につくられた環状列石(ストーンサークル)を主体とする遺跡です。堤川上流の荒川と入内川は挟まれた、八甲田山系から青森平野に向かって延びる標高約145mの台地上に位置している。
遺跡の重要性から平成7年(1995)国史跡に指定され、現在では約90,000uが史跡範囲として保護されている。 |