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彌生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽かにみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。
行春や鳥啼魚の目は泪(ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)
是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと、見送なるべし。 |
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旧暦元禄2年(1689)3月27日、深川を舟でたった芭蕉は、千住で上陸し、多数の門人らに見送られて、関東より奥州・北陸を経て大垣に至る長途の旅に出立した。行程600余里、日数凡そ150日という大旅行であった。この紀行が、元禄7年4月「おくのほそ道」として完成し、以後我が国を代表する古典文学作品となって内外に親しまれている。
古典の多くがそうであるように、この紀行文も謎に包まれた部分がかなりあり、学究の筆を休むことがない。当時の芭蕉を偲びこの地に佇む人もまた少なくない。
時あたかも平成元年(1989)、曾良を伴い芭蕉が旅立って300年にあたる。それを記念して「おくのほそ道行程図」を矢立初めの地に建てた。(標示文より) |
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